リベラル群馬の県外調査②

小川あきら です。

二日目は、石川県から。

リベラル②

石川県では、金沢コンベンションビューローを調査。 駅の周りにホテルや観光地、飲食店などがコンパクトにまとまっている金沢市。金沢市では、昭和56年にコンベンション都市化構想を提言し、コンベンションビューローを設置。以後30年かけて、コンベンションを誘致するための環境整備や都市開発をしてきたそう。東京・横浜・大阪・名古屋・福岡・金沢…多くのコンベンション都市の中から群馬を選んでもらうためにはハードよりもソフト面の取組が重要です。

実際に国内外から多くの会議・大会などを誘致してきたビューローの皆さんのお話を聞かせていただくと、コンベンション都市は、施設(会場・宿泊)、アクセス、飲食のほか、文化芸術や歴史などの質の高い観光資源が必要とのこと。ハコモノだけではコンベンションは誘致できないのです。また、誘致のための人材の確保も重要で、専門の人材を育成するのに5年~10年はかかるといわれています。聞けば聞くほど、群馬県のコンベンション施設計画がが不安に。

コンベンション専用の施設はありませんが、金沢駅周辺のホテルや公共施設を利用して、多くのコンベンションを誘致しています。

続いて富山市では、公共交通を軸としたコンパクトなまちづくりに関連して、富山ライトレール(ポートラム)と富山地方鉄道(セントラム)の取組について調査。

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□富山ライトレールは富山市内北部地区を約7.6キロにわたって縦断するLRT(次世代型路面電車)で、廃線となったJR富山港線を引継いで2006年4月にスタートしたもの。

JR時代には、1時間に1本だった運行間隔を、15分に1本(ラッシュ時は10分に1本)に短縮。また、終電を23時に繰り下げるなどの大幅なダイヤ改編を行った結果、運行本数は開業前の3倍以上に増加。

ライトレール整備をきっかけに高齢者向けのサービスも行い、家に閉じこもりがちな高齢者の外出機会が増加したそうです。運転免許を自主返納した65才以上の高齢者に対しては2万円分の乗車券が支給されます。

□方鉄道(セントラム)は、既存の路面電車と新設区間を組み合わせた環状線で2009年12月にスタート。市内の中心部1周約3.4キロを所要時間約20分で循環。10分間隔で運行しています。中心部の回遊性が大幅に強化され、土日祝日の利用者が増加。

これを前橋に置き換えてみると、前橋駅から市内中心部(市役所・県庁・中心商店街・前橋公園)を環状線で回遊できるようにして(セントラム)、上電をLRT化して前橋駅まで乗り入れる(ライトレール化・南北接続)というイメージでしょうか。

ただ、既存の路面電車の軌道を利用して、新設に比べてかなりコストを削減できた富山市と違い、前橋で導入する場合には、新設に多額の費用がかかります。

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いずれにしても、公共交通の衰退、車が自由に使えない市民の増加、CO2排出量の増大、市街地の低密度化による行政コストの増大といった様々な課題を解決するためにはどうしたらよいか、皆で考えていく必要がありますね。ライトレールにしてもセントラムにしても10分間隔で運行していることが利用者の利便性に大きく貢献している様子でした。

リベラル群馬の県外調査

 今日は日本に初めてパンダが来た日、そして群馬県民の日!
県内あちこちで県民の日の記念イベントが開催されています。
県民の日っていつからあるのかな〜、と調べてみると、制定されたのは昭和60年。
群馬の歴史を振り返ると赤城国体を契機に色々整備されたことがわかりますね。
https://www.pref.gunma.jp/01/c0100030.html
さて、そんな県民の日に私は群馬県を飛び出て北陸三県へ。

①福井県の災害ボランティアの活用について
②金沢コンベンションビューローについて
③富山ライトレール(公共交通とコンパクトシティの取組み)について
会派の県外調査に行ってきます!

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一日目は、北陸新幹線でびゅーんと福井県へ。災害ボランティア推進の取組みについて調査しました。
福井県では平成9年のナホトカ号重油流出事故を契機に、災害ボランティア活動支援基金条例を制定。
ナホトカ号事件では約9万人のボランティアを受け入れたそうで、その時の経験を基に、ボランティアセンター連絡会の設置や活動資金の担保など受援力を強化する仕組みづくりを始めたとのこと。
その後、平成16年の豪雨災害では、約3万人の学生がボランティアに参加。
翌17年に災害ボランティア条例を制定。教育部門とも連携しながら県民全体でボランティア活動に取り組んでいます。
全国の皆さんにナホトカ号事件の恩返しをするために、東日本大震災や先日の茨城県豪雨災害にも多くのボランティアを派遣しているとのこと。
「災害時に被災地から支援の要請なんて出せない。だから、自分たちで現場に出向いて必要な支援・できる支援を見つけてくるんだ」と災害現場と直接向き合う姿勢に感銘を受けました。
災害の少ない群馬県では、災害ボランティアに対する情報も経験も不足していますが、先進県にならってしっかり体制を整えていきたいと思います。
東尋坊へ向かう荒磯遊歩道の途中には、ナホトカ号重油流出事故の記念碑が建っています。
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11231207_739893836110702_4096164514972505664_n JCの大先輩にもお会いできました。

宇宙少年団・前橋分団「やっくま」の結団式

小川あきら です。

宇宙少年団って聞いたことがありますか?

宇宙少年団は、1984年、レーガン大統領によって米国にて結成された団体で、 青少年への科学技術の普及啓発と21世紀を担う人材育成を目的とした団体。

日本では1986年に結成され、理事長には銀河鉄道999でお馴染みの漫画家 松本零士先生、団長は毛利衛宇宙飛行士、歴代の副団長には向井千秋、若田光一、 土井隆雄などの宇宙飛行士が就任しています。

設立30周年を迎えた現在、全国に143分団、約3000人の団員が活発な活動を展開しています。

群馬県には館林分団しかなかった宇宙少年団ですが、この度ついに、前橋分団が誕生しました!

結団式典の後には、楽しい実験コーナー。

親子でモデルロケットを上げたり、衛星の受信実験などを行いました。

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私たちの住んでいるこの前橋市にもサッカーや野球などのスポーツと同じように、 理科や天体に興味のある子どもたちがたくさんいます。

スポーツに興味のある子どもたちには、スポーツ 少年団やスポーツクラブがありますが、理科や 天体に興味のある子どもたちは、いったいどこに 行けばいいんだろう?

そんな子どもたちが好奇心と冒険心を目いっぱい発揮できる場所をつくりたい!

そんな思いで誕生した宇宙少年団(YAC)前橋分団(MAEBASHI)は、

みんなに親しんでもらえるように「やっくま」という愛称を付けました。

さあ、「やっくま」の活動に参加しよう。

興味のある方はぜひHPをご覧になってくださいね♪http://yacma.jp

たかさき消防共同指令センター

小川あきら です。

今日は決算特別委員会の現地調査。

来年4月1日から運用開始予定の「たかさき消防共同指令センター」にお邪魔しました。群馬県からも2億5000万円の補助金が出ています。

この共同指令センターは、高崎、利根沼田、渋川、多野藤岡、富岡甘楽、吾妻の各広域消防本部が共同で消防指令業務を行うもので、群馬県の4分の3の面積と人口の42パーセント、約84万人を管轄しています。

システムを共同化することで、①指令台数の増加に伴い119番通報の受付がスムーズになる(最大14件)、②通報受付から現場に到着するまでの時間短縮、患者を病院に搬送する時間短縮、市町村を超えた連携が可能、③財政的な経費節減、④大規模災害時の組織的な対応が可能、といったメリットがあります。

4月からの本格運用に向けてしっかり準備をしていただきたいと思います。

また、県のはばたけぐんまプランでは、「11消防本部の広域化を推進し、平成28年を目途に1消防本部体制を目指す」とされていますが、各消防本部等の意向もあって、現状では約半分の広域化となっています。

今回導入したシステムは10年くらいで見直しをするらしく、その間に1消防体制に向けた検討をしっかり進めていきたいですね。

ついでに、北関東で唯一高崎市等広域消防局に配備されている無線中継車も見させていただきました。

東日本大震災が発生した際、広い範囲で通信障害や固定電話・携帯電話の発信制限が行われたほか、消防救急無線基地も被災し、大規模災害時の通信手段確保が大きな課題となりました。

そこで、大規模災害に備え、衛星通信なども機能をもった特殊車両として配備されたのが無線中継車です。

先日の豪雨災害の際にも常総市に派遣し、情報の収集・発信に大活躍だったそうな。