東毛研修 その2

小川あきら です。

スバルの次は、中島知久平邸に寄らせていただきました。

中島知久平さんは、富士重工業のもとになる中島飛行機を興し、

飛行機王と呼ばれた方です。

その中島知久平氏が、両親のために1930年頃に建てた大邸宅。

玄関棟と客室棟、居間棟、食堂棟が回廊式でつながったお屋敷で、

昭和初期の和洋折衷様式を色濃く残しており、

ヒノキなど高級建築材も使われていることから、

建築の意匠・構造・素材において学術的価値が高く、

2009年5月には太田市の重要文化財に指定されています。

しかし、建築から年数がたっていることから、あちらこちらが老朽化しています。

修復・保存には数十億円がかかるとのこと。

貴重な財産なので、なんとかして後世に残していきたいものです。

    

    

    

東毛研修 その2」への2件のフィードバック

  1. 専門学校の校長の講演で聴いたのですが、当時の飛行機は、木造だったので、全国から優秀な大工を集めたそうです。そばの金山が丸裸になったので木を植え直したそうです。
     (私が県の最初の勤務地である福祉事務所の先輩が、中島工場を爆撃にきたB29について、「邑楽町に2機落ちたので、俺はワイシャツを作るので、パラシュートをもらいにいったんだ。」と話していました。もう一人の人が、「二人の米兵を竹槍でつついて殺したが、米軍が来るというので、石碑を作ったら表彰された。」と言ってました。)
     一昨年、邑楽町の公民館でこの墜落したB29に関する写真展が開催されました。新聞によると、米兵については、本国の家族の方まで分かっているそうです。

  2.  この専門学校とは、私が県を退職後通った、私立の「太田情報商科専門学校」で、県の組織とは、何の関係もありません。

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