東地区戦没者追悼式

小川あきら です。

今日は、東地区の戦没者追悼式に参列させていただきました。

太平洋戦争から66年がたち、実行委員会・委員長や

遺族の会の方の追悼の言葉の中にもありましたが、

遺族の会の皆さんの高齢化と共に戦争を語り継ぐ機会が

だんだん少なくなってきています。

私の家では、両親も戦後の生まれなので、

祖母が亡くなってからは、家で戦争の話をすることもほとんどなくなりました。

毎年行われるこの追悼式は、戦争と平和について改めて考える

とても大切な機会だと思います。

東地区戦没者追悼式」への3件のフィードバック

  1. 私の亡くなった父は、海軍工廠というところで働いておりました。軍艦がボコボコになって帰ってくると、やられてきたなと思ったそうです。別に大東亜戦争でなくとも、明治維新に至るまでの道程は、漫画(手塚治虫「陽だまりの樹」)や小説で読んだだけですけれども、すざまじいもので、新撰組、薩英戦争、天狗党、長州征伐、アームストロング砲、戊辰戦争による破壊と暴力。しかし、これらは、下級武士による自発的行動のように見えます。
     「○○維新の会」というのがありますが、自分で犠牲を払わず、上記のような道筋を抜きにして、維新だの革命だのと言っている政治家は、非現実的で支持を得られるとは思えません。私は、暴力を支持している訳ではありません。
     その点、小川 晶 先生は、女性特有の現実性と法律家の頭脳を持っておられるので、群馬県政を真っ当なものにして行く数少ない議員として、期待しております。小川先生が、別のところに、100年前の「青踏社」のことを書かれていたので、私も少し昔のことを書いてみました。

  2.  追伸、
     天狗党は、高崎市などでは受け入れられましたが、私の住居の比較的近くにある栃木市(当時、栃木町)には拒否され、天狗党は、町が焼き払い、消火にあたった住民も多数殺したそうです。栃木県在住の人の話によると、栃木市には蔵があるとのことです。

コメントは停止中です。