皆さまの温かいご支援をいただき、県議会議員の活動も3期12年が過ぎようとしています。初めての選挙は東日本大震災の直後の統一地方選でしたので、被災地の復興はもとより、エネルギー政策や地域の支え合いの大切さなど、災害とどう向き合うかが政治の大きなテーマとなりましたが、あれから10年が経ち、現在はコロナ禍と世界的な物価高騰により、あらたな時代の転換期を迎えようとしています。
この間、女性や若者、働く仲間、生活者の視点で、子育て支援や福祉政策、教育の問題に取り組み、子供の貧困対策や児童相談所の体制強化を実現、介護や医療の充実、公共交通政策に取り組んできました。また、若者が魅力を感じられる地域づくりや、地方経済を支える中小企業が元気になるような取組み、未来を見据えた農業政策を提言してきました。
その中で、常に考えていたのは「縮小の時代にどう生きるか」です。少子高齢・人口減少社会において、地方の財政も厳しい状況が続いています。「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」の選択が迫られる中、コロナ禍の先を見据えて、何をどう変えていくべきか。優先順位をつけて我慢すべきところは我慢する。正直で持続可能な政治に改める必要があります。ハコモノ建設や大型幹線道路の整備よりも、「人への投資」や「暮らしや福祉の充実」が最優先される県政へ変えていきましょう。
また、経済のグローバル化、バルブ崩壊、人口減少、貧国と格差、地球温暖化、そして大地震や豪雨災害の発生、新型コロナウイルス感染症の感染拡大、ロシアのウクライナ侵攻など、変化の激しい時代の中で、平和や安心・安全を願う風潮はますます強くなっているように感じます。不安定な時代だからこそ、「人とのつながり」の価値を見直し、互いに助け合う心や思いやる心をはぐくむ、みんなが希望を持てる、生活を支える政治の本当の役割が求められているのだと思います。
政治が悪いとか、政治不信と報道されますが、社会や政治に対して、評論したり嘆いたりしているだけでは何も変わりません。未来を創るのは私たち一人ひとり人の力です。
―子供たちにどんな未来を残していきたいですか?
―どんな地域社会で暮らしていきたいですか?
課題は山積ですが、今の時代を生きる私たちが手を取りあって、希望あふれる未来を描いていきましょう。誰もが笑顔で輝ける群馬県を目指して、引き続き頑張ってまいります。
2022.10 小川 あきら
会派 | リベラル群馬 |
1982年 | 農家の長女として生まれる。 中学ではバレーボール部、高校では少林寺拳法部に所属。 茶道も習い、「文武両道」を目指す。 |
2005年 | 中央大学5年生で、司法試験に合格。 |
2006年 | 中央大学法学部を卒業。 前橋地方裁判所で司法修習。 |
2007年 | 群馬弁護士会に登録し、弁護士活動スタート 前橋市内の法律事務所に勤務。 |
2011年 | 群馬県議会議員(1期) |
2015年 | 群馬県議会議員(2期) |
2019年 | 群馬県議会議員(3期) |
私は、農家の長女として生を受け、幼少時代は千葉県の匝瑳市で過ごしました。
農家を営む父の背中を見て、働くことの尊さ、汗を流すことの清々しいさ、収穫の喜び、家族や近所の人々と助けあう心を、肌で感じながら育ちました。
また、私がより影響を受けたのは、公務員として社会のために働く母の姿であったと思います。女性も、社会のために貢献できる。母のように、将来は社会の役に立つ仕事がしたいと思うようになりました。
社会の役に立つ仕事をしたい、その思いで弁護士を志し、大学を卒業した後は、この「群馬の地」前橋で、弁護士として働いてきました。
前橋市は、私の生まれた匝瑳市より、遙かに都会ですが、人情味に溢れ、自然豊かなところなど、共通点もとても多いです。私は、この前橋の地で、弁護士として、市民の皆さんが抱える問題を解決するお手伝いができる事を、とても幸せに感じています。
しかし、同時に、弁護士の仕事を通じて、社会の矛盾や、不公平な部分をつぶさに見てきました。
真面目に仕事をしていたにも関わらず、不条理にも会社を解雇されてしまったという若者の相談。「明日からの生活のめどが立たない、毎日ハローワークに行っても仕事が全然見つからない。」働きたくても働く環境が与えられない現実があります。
また、厳しい就職競争を勝ち抜いた後も、会社の中でのパワハラや、過酷な残業に耐えながら働いている人がたくさんいます。人間らしく働き、生活するということが難しい世の中になっています。
高齢者の方からは、「年金暮らしだが、年金だけではとても生活していけない。家賃を払うのもままならない状況で、具合が悪くても医療費が払えないので、病院に行くのもがまんしている。」という声。
子育てに関する不安で、涙を流すお母さんもいました。「小さい子どもを抱えながらでは、フルタイムの仕事に就くことができない。パート労働で精一杯働いても年収200万円にも満たない。毎日明日の生活に不安を抱えながら生活しています。子どもに不憫な生活をさせているのがとても悲しい。」
本当にたくさんの声を聞いてきました。そして、涙を見てきました。
私が接してきたこのような多くの方の声や涙は、政治が社会の中で弱い立場の人たちのところに、まだまだ届いていないことの現れです。
法律で解決できる範囲を一歩出ると、行政にバトンタッチすることがたくさんありました。
「それは法律や裁判では解決できないので、行政に相談してください。」
そう依頼者に説明するとき、私は、何もできない自分に、とてももどかしい思い、悔しい思いを感じてきました。困っている人を、法律的にも、行政的にもサポートしていきたい。その思いで、政治の場に挑戦する決意をしました。
ほんの数十年前は、貧しくても、家族や地域の絆で結ばれて、互いに助け合って困難を乗り越えていけるような暖かい社会であったと思います。今日のがんばりが明日の希望につながる、そんな社会であったと思います。
しかし、国が豊かになる一方で、次第に家族の絆や助け合う心が失われていったように思います。今は、真面目に働いて、今日を何とか生き抜いても、明日どうなっているかわからない。競争社会の中で、自分さえ良ければいい、そういった思いが社会にあふれています。
そういう社会では、私たちは明日に希望を持つことはできません。こんなに心の貧しい世の中で良いわけがありません。
こんな時代だからこそ、互いに助け合う心、思いやる心をはぐくみ、みんなが希望を持てる、暮らしを守り、生活を支える政治の本当の役割が求められているのだと思います。
社会は、そこに住む人と人とが作り上げていくものです。
私は、家庭や、学校や、会社や、地域で、人と人とがつながる社会を作っていきたい。
人情味のあふれる、豊かな心でつながる、そんな群馬県を作っていきたいと思います。
小川 あきら